均一化を望んでしまう受け身な社会人たち
企業によっては、何ヶ月も新入社員研修で丁寧に教えてくれる所があるかもしれない。
しかし、大半の中小企業は懇切丁寧に教える環境もなく、経費もない。お金を払ってるわけだから、1日でも早く稼いで欲しいわけだ。
小さい時からの教育は、先生が教えてくれるし、大学に行ったって卒業するための単位を取るために、教えてもらう。
自分が興味があって学ぶ人はほとんどいない。興味があるなしはどうでもいいが、そこに居れば教えてくれるってこと。
何年も染み付いた体質は、社会人になっても抜けないため、仕事を教えて欲しい…となってしまう。
だが、丁寧に教えてくれる企業は少ないから、先輩社員から教えてもらうことになる。
先輩社員も人間なので、知識・経験・教え方が違い、当たり外れがあるように思ってしまう。
そこで、均一化思考がやってくる。
教えてもらってない。
研修制度がしっかりしていない。
そんな事は一人前になってから言え!
なんて言うと、
それパワハラじゃないですか。
と帰ってくる時代。
均一化された教育を望むことでコピーロボット化し、何の個性も生まれない。
個性がないって事は、何の魅力もないってこと。
与えられた価値観で生き、いかに効率よく稼げるかという思考が生まれ、仕事や責任を押し付け合うようになってくる。
社内規則やコンプライアンスに縛られ、何の創造性もないからつまんない人生へとなっていく。
みんな認められたいから、会社のルールだけはきっちり守りますからね。
正直、会社員だろうが経営者だろうがフリーランスだろうが何だっていい。
個性を発揮出来ないと思い込んだのは自分。
ルールをきっちり守ると決めたのも自分。
つまらない人生にしてるのも自分だってこと。
いかに自分の世界観を持ってるかが重要になってくる。
全ての価値観を疑い、本質は何か。
自分はどう感じているのか。
好きなのか嫌いなのか。
飲みに行きたいのか行きたくないのか。
何をしたって誰も責任とってくれませんから。
最後は、
大人なんだから自分で考えろと。
と返ってくるだけで。
だったら好きに生きればいい。
どう好きに生きるかは自分にしか答えは出せない。