カウンセラーのリコカツ

〜私の見た真実〜

妻の気持ちがわからない想像力のない夫

これ私です。

 

表面的なことに気づき行動することはできるけれど、相手が何を求めているのかが全くわからない。

 

一生懸命やっているつもりでも、妻の不満は常に右肩上がりです。

 

こんな話題提供したら面白いだろうなとか、こんな言葉がけしたら喜ぶだろうなと自分の想像力を駆使しても、すべて空回り。。。

 

「求めてるのはそんなんじゃない」と一蹴され、自分がどんどん縮こまるばかり。

 

思考停止に陥ると何も言えなくなり、話すことに恐怖さえ覚えるという悪循環の始まりです。

 

相手に対する意識とは逆方向に走り、自分を否定し、過去に捉われ、自信さえも失い言葉も出なくなると、想像力のカケラもありません。

 

一緒にいて頼りないつまらない夫を確立していくばかり。

 

表面的な日常の家事を一生懸命やっていた私は、どこか「こんだけやってんだから」という想いに変わっていったように思います。

 

二人で協力して作り上げていく中で、妻の負担をなるべく減らしたい。そのために私にできることは目の前にある家事で、そこに自分の価値を勝手に見出していました。

 

今思えば、何の話し合いも持たずにやっている自己満足だったかもしれません。

 

「こんだけやってんだから」という押し付けでしかなく、傲慢そのものでした。

 

必要なのは、話し合いや日々の会話を通して、二人で作り上げていくという感覚を共有することのようですが、じっくりと話し合うのが本当に苦手でした。

 

それは、先のことを何も考えていなかったことと、目の前のことを必死にやることの方が何も考えないで済むからです。

 

未来に想像力を働かせて、見えない何かを描いていくことで、夢や目標が見え明日へと進んでいく活力となっていくのかもしれません。

 

美味しいものを食べたい、旅行に行って知らない世界を見てみたい、子供にはこんな教育をさせたい。

 

というビジョンが持てなかったのは、我慢とか忍耐、節約といった価値観を中心に広がりのない世界を生きてきただとようやく気づきました。

 

自分さえ我慢すれば物事はうまく収まる。

人生そんな甘いもんじゃない。

辛いことを乗り越えてこそ意味がある。

欲しいものを我慢して明日に備える。

 

やがて欲しいものがなくなり、辛いことや大変なことを引き受けることにやりがいを見つけ、ただ毎日を精一杯生きることに必死になっていました。

 

そんな私には、オススメのレストランなどあるはずもなく、小さい枠の中で生きてきた人間が、子供にこんな世界を見せてあげたいとか言えるはずもなく、いろんなところへ連れていくこともできませんでした。

 

そういうアイデアさえもやってこないということです。

 

これが私の長年養われてきた考えや価値観となり、ビジョンが持てない原因だったと結婚して15年経った今、ようやくわかりました。

 

本当、遅すぎです。

 

子供は日々育っていて、妻もどんどん変わっている中で、取り残されているのは私だけ。

 

ずっとしがみついてきた価値観を手放すことは簡単なことではありません。

 

しかし、この現実を知らなければ手放せる可能性があることさえも気づけないので、まず一旦ここで深呼吸といったところです。

 

一度築き上げてしまった妻からの不信感を拭い去るのには時間がかかりますが、私にはそんなに時間がありませんので焦るばかりです。

 

想像力は培われるものだと思っていましたが、そうではなく、想像できない理由がそこにありました。

 

想像力を阻んでいるものを知り、手放すことで少しづつ変わっていくような気がします。