夫婦関係の問題から逃げ切れるのか
お互い何かしらに惹かれあって一緒になったとしても、何かしらの問題はあると思います。
違う環境で育ってきたからこそ惹かれ合う部分と、何か違和感を感じる分。
やがて自分の価値観が正しいとか、ゆずれないものがあるほどぶつかりあうものです。
それが問題となって怒り狂い、相手を責め、いかに自分の考えが正しいかをぶつけ合う戦場。
その最たるものが夫婦関係ではないでしょうか。
「お互い違って当然だよね」って悟った人は何の問題もないと思いますが
夫婦関係のあり方、お互いの親に対するスタンス、子供に対する教育、学校、老後に対する考え方
具体的になればなるほど価値観の違いが見えてきます。
私は悟っているわけではないので、当然苦しんでいるわけです。
いくら人間関係を学んでも、そこには答えはありません。
正解はどこにもないからです。
相手に対するアプローチの方法は学ぶけれども、最終的に決断をするのは二人です。
どう相手の話を聴くのか、どうやって自分の意見を言うのかを知ったところで、具体的に決定をっ下す選択肢を与えてくれるわけではありません。
しかし、そこにこそ困難を感じるわけです。
占いで道しるべを与えてくれるかもしれないけれど、話し合いの中でどういう決断をしていくかは、お互いの責任。
最終的に責任を負うのは自分しかいないということです。
私も含め、決断をすることはとても怖いことです。
どいう言葉を発するかというのも、自分の決断ですよね。
相手のせいにすることは一番簡単なことですが、それは自分の考えを受け入れてもらえなかったことに対する不満の表れで、お互い納得したわけではありません。
自分の考えを押し殺すことで解決したかに見せかけ、結果が悪い方向に行った時には相手のせいにすれば楽だからだと思います。
私自身、相手を納得されることに面倒臭さを感じ、もうこれ以上言ったってしょうがないと問題から逃げた方が楽だと思っていました。
そこにエネルギーを注ぎたくなかったからです。
こだわりがないのは、人によってはいい意味で使われますが、問題を相手の責任にする楽な解決方法として使っていたら責任転嫁でしかありません。
偉そうなことをいうつもりはありませんが、私自身がそうだからです。
柔軟性も時には大切ですが、こだわりの方がもっと大切だと最近ヒシヒシと感じます。
こだわりを持ってやっていくからこそ、自分の発言にも責任を持ち、情熱を注ぐことができるからです。
問題を相手のせいにしている限り、自分の中での問題解決にはならず、ずっとモヤモヤ感が続きます。
本当は解決したいけどできない問題が多くなればなるほど、そのことで頭がいっぱいで未来のことなんて描けない。
ビジョンすら持っていない格好悪い夫の出来上がりです。
一つ一つ目の前の問題を解決していくことがもの凄い重要で、問題から逃げ切ることはできない。
これだけは真実のようです。
妻の罵倒からは逃げきれない
妻が怒りを爆発するたびに、いつか収まるだろうと淡い期待を寄せながらじっとこらえていました。
しかし、夜中から始まる私への罵倒は収まるどころかどんどんヒートアップしていくばかり。
「そうだね。俺が悪かった。ごめん」と謝罪を繰り返し、「もうそろそろ終わりにして寝たいんだけど」と喉まで出かかっているけど、それを言ったら終わりだと真剣に聴いたふりをしていても、寝かせてはもらえない。
このまま朝を迎えるんじゃないかという思いに苛まれながらも、終わりが見えない話し合い。
これは話し合いでも喧嘩でもなく、完全に説教です。
最終的に
「もういい。。。」と、あんたは最低だと妻が再認識したところで話は終わりを迎えますが、ことある度にこんなやりとりが繰り広げられます。
自分のダメさ加減を受け入れつつ、妻の怒りが収まる言葉が見つけられず、悶々と過ごす日々。
何でこんな自分と結婚したのかと疑問だらけで、自信もプライドもずたボロ。
仕事に没頭することで毎日は過ごせるけれど、やがて家に帰るのが怖い帰宅困難者になっていました。
家に帰るとまた罵倒が始まり、自分の居場所がなく心のスペースも感じない。
自分の思い描く幸せな家庭などほど遠く、子供からもお父さんは頼りないと信用を失うばかり。
父親の威厳なんてどこにもありません。
おそらく子供達の目には、お母さんに怒られているお父さんとしか写っていないと思います。
そこに、何を生きがいにやっていけばいいのでしょうか。
心の拠り所、安心感、愚痴を言える場所。
心のはけ口を見失った私は、誰にも相談することができませんでした。
だんだん私は、自分さえ我慢してればいい。そうすることで家族は幸せになれると思うようになりました。
しかし精神的には不安定になり、自分を否定し、この世からいなくなりたいとさえ思うようになりましたが、子供達のためには生きていかなければならないと、何の確信もないまま生活していく日々。
公園で幸せそうに子供と手を繋いで歩いている親子を見る度に、本当はこういう家庭を築きたかったと羨ましくなるけれど、答えがどこにも見つかりません。
「わかった。俺は変わるから。」
と何のあてもない言葉を口にし、何をどう変えればいいかもわからず、その日を乗り越えることしか頭にありませんでした。
このままの自分を認めてほしいという想いがそこにあったのかもしれません。
何でこのままの自分じゃいけないのか。
「俺は変わるから。」と言ってしまった後に、そんな想いでいっぱいになっていました。
自分が生きてきたことを全否定された現実と、明るい未来を思い描きたくても描けない現実。
妻への愛情はどこに注げばいいのでしょうか。
やがて愛とか恋とかそんなものはどこかへ行き、妻の機嫌ばかり伺うようになったのを覚えています。
そんな自分には自分の将来や子供の将来を思い描けるはずがありません。
自分のことで精一杯ですから。
そして子供が成長していくにつれ「子供の将来どう考えてるの?」と言われ、考えてる余裕はあるはずもなく、妻の不満は募るばかり。
「親としてどうなの?」とさらなる罵倒。
八方塞がりの状態に陥り、逃げ場がありません。
子供の成長は待ってはくれないのです。
結婚という列車に乗った以上、進み続けるしかないからです。
残された人生をどう生きていくかを考えた親と、これからどういう未来を生きていくかを考える子供。
スタートラインが全く違う人生を背負った私は、焦りと不安でいっぱいになり、思考停止に陥ってしまいました。
子供は親の背中を見て育ち、知らず知らずに親の人生を参考にする。
これだけは現実だと思います。
いろんな人と話をしてきた中で、これはだけは真実です。
親のような人生を生きたいと思うのか。親のような人生だけは生きたくないのか。
この両極。
それだけ親が基準になっていて親重要な存在だということです。
自分に自信がないとかもっと認めて欲しいとか、そんなのは子供にとってはどうでもいい話で、人間関係も含めどういう考え方で生きているのかを子供たちは冷静に見ていることに恐怖しかありません。
まだまだ未熟な自分と、もっと未熟な子供を抱えながら夫婦関係をどう築いていくか。
そんな現実を受け入れる度に、心が蝕まれていきます。
妻の気持ちがわからない想像力のない夫
これ私です。
表面的なことに気づき行動することはできるけれど、相手が何を求めているのかが全くわからない。
一生懸命やっているつもりでも、妻の不満は常に右肩上がりです。
こんな話題提供したら面白いだろうなとか、こんな言葉がけしたら喜ぶだろうなと自分の想像力を駆使しても、すべて空回り。。。
「求めてるのはそんなんじゃない」と一蹴され、自分がどんどん縮こまるばかり。
思考停止に陥ると何も言えなくなり、話すことに恐怖さえ覚えるという悪循環の始まりです。
相手に対する意識とは逆方向に走り、自分を否定し、過去に捉われ、自信さえも失い言葉も出なくなると、想像力のカケラもありません。
一緒にいて頼りないつまらない夫を確立していくばかり。
表面的な日常の家事を一生懸命やっていた私は、どこか「こんだけやってんだから」という想いに変わっていったように思います。
二人で協力して作り上げていく中で、妻の負担をなるべく減らしたい。そのために私にできることは目の前にある家事で、そこに自分の価値を勝手に見出していました。
今思えば、何の話し合いも持たずにやっている自己満足だったかもしれません。
「こんだけやってんだから」という押し付けでしかなく、傲慢そのものでした。
必要なのは、話し合いや日々の会話を通して、二人で作り上げていくという感覚を共有することのようですが、じっくりと話し合うのが本当に苦手でした。
それは、先のことを何も考えていなかったことと、目の前のことを必死にやることの方が何も考えないで済むからです。
未来に想像力を働かせて、見えない何かを描いていくことで、夢や目標が見え明日へと進んでいく活力となっていくのかもしれません。
美味しいものを食べたい、旅行に行って知らない世界を見てみたい、子供にはこんな教育をさせたい。
というビジョンが持てなかったのは、我慢とか忍耐、節約といった価値観を中心に広がりのない世界を生きてきただとようやく気づきました。
自分さえ我慢すれば物事はうまく収まる。
人生そんな甘いもんじゃない。
辛いことを乗り越えてこそ意味がある。
欲しいものを我慢して明日に備える。
やがて欲しいものがなくなり、辛いことや大変なことを引き受けることにやりがいを見つけ、ただ毎日を精一杯生きることに必死になっていました。
そんな私には、オススメのレストランなどあるはずもなく、小さい枠の中で生きてきた人間が、子供にこんな世界を見せてあげたいとか言えるはずもなく、いろんなところへ連れていくこともできませんでした。
そういうアイデアさえもやってこないということです。
これが私の長年養われてきた考えや価値観となり、ビジョンが持てない原因だったと結婚して15年経った今、ようやくわかりました。
本当、遅すぎです。
子供は日々育っていて、妻もどんどん変わっている中で、取り残されているのは私だけ。
ずっとしがみついてきた価値観を手放すことは簡単なことではありません。
しかし、この現実を知らなければ手放せる可能性があることさえも気づけないので、まず一旦ここで深呼吸といったところです。
一度築き上げてしまった妻からの不信感を拭い去るのには時間がかかりますが、私にはそんなに時間がありませんので焦るばかりです。
想像力は培われるものだと思っていましたが、そうではなく、想像できない理由がそこにありました。
想像力を阻んでいるものを知り、手放すことで少しづつ変わっていくような気がします。
妻の話を聞いているだけのつまんない夫
人間関係の基本は相手の話をまず聴くことから始まると言われますが、それを鵜呑みにした私は、ジャッジせず相手の話を黙って聞くことで上手くいくと思ってしまいました。
女の人は特に、ただ聴いて欲しいだけだからと本にも書いてあったりしますから、自分の意見があっても言わず、結論を言うのはもってのほか。
何だそんなことかと簡単に考えてしまうと大間違い。
黙って聴いて、うなずき、最後まで話を聴くと
「で、どう思う?」
「えっ、どう思うって。。。」
何も考えていなかった私は
「いいんじゃない。いいと思うとそれで。」と言うと
「なんか意見ないわけ?」と意外な反応に、聴いてるだけで満足するんじゃないの?と疑問だらけでした。
聴いてるだけで全て上手くいくと思っていた私は、現実は全然違うじゃねえか!と教えてくれた人たちを本気で恨みました。
そんな綺麗ばかり言って、偉そうなこと言ってんじゃねぇよと思いは募り、誰も信用できなくなりました。
夫婦関係が悪化しただけだから、本気で金返せとも思いました。
現実レベルで使えないスキルを教科書通りに教えるのが、大多数の先生です。
これ現実なので、実際やってみて検証するしかないです。
そんなこと聞かきゃよかったとさえ思いました。
そんな悶々とした中、カフェで一人本を読んでいると、ママ友の会合を目にしました。
そこでの光景には正直驚きました。
誰かが話していると、みんな興味津々で
「本当に~なんでそうなったの~ひどいね~」とオーバーリアクション
話している人もヒートアップし、どんどん話は盛り上がるばかり
そして話をお互いがかぶせまくり
自分にとってはどうでもいい話なので、正直そんなオーバーリアクションなんて無理無理。
絶対にできません。
しかしその時、ハッとさせられ
「聴いている人は全然黙って聴いてないじゃん!」と思いました。
妻からず~と「あんたと話しててもつまんないね」と言われ続け、黙って聴いてても「意見はないの?」と話はストップ
ママ友のコミュニケーションは、自分が思い描いていたものと全く違っていました。
話題提供をすることもなく、面白い話ができるわけではない。
コミュニケーションってお互いのエネルギー交換なのにもかかわらず、一方通行だったことに気づかされました。
仕事から帰ってきて疲れ果てているところに、話す気力を失い黙って聴いてりゃ上手くいくなんてことはないですよね。
さらに話題提供さえもしなければ、「一緒にいる意味なんなの?」と言われるのはごもっとも。
エネルギーが無限にあって欲しいものです。
でも、黙って一人でスポーツニュースを見ていたい。。。これ本心です。
じゃぁ独身でいいじゃんと突っ込みたくなりますが、誰かそばにいて欲しいと本音を言うと本気で後ろから刺されます(笑)
自分の時間がほしいと言うくせに、誰かそばにいてほしいというわがまま。
このせめぎあいの中で、どうバランスをとっていくのかは、本当に難しさを感じます。
本当に。
でも、もっと根本的な問題は
相手の話に興味を持たない、話を聴く余裕がないのか原因なのかもしれません。
妻から認めてもらえないカウンセラー
カウンセラーって心理学を学び、人間関係に悩む人たちの話を聞き、アドバイスを送ることで相手の気持ちが楽になったり、前に進む勇気を与えてくれます。
相手の問題の本質がどこにあるかを感じ、見抜き、本当の声を聴くことで、ハッとされられ我に返り、問題解決の糸口を掴むこともあります。
アドバイスをするカウンセラーって、いわば人間関係のプロですよね。
しかし、そんなカウンセラーも最初から人間関係が上手くいっているわけではなく、自分自身が悩み、苦しみ、葛藤の中で生きてきたからこそ、人の痛みがわかり相手に寄り添うことができるわけです。
スタートってみんな一緒です。
私は、自分が生きてきた中で苦手なことや得意なことはありつつも、自分はおかしい人間だと思っていたわけでもなく、それなりに上手くいくんじゃないかと思っていました。
ところが、結婚した途端
あんたのここがおかしい、ここが間違っている。世間知らずだよねとあらゆる行動を指摘され、ここまで人生で否定されたことはないくらい否定の連続でした。
そんなはずはないと抵抗し、反論もしましたが、どんどん夫婦関係は悪化するばかり。
そこまで言われると腹がたつので、どれだけ自分が間違っているのかを知るために、いろんな人間関係を学ぶコースに参加しました。
なんか自分は場違いだと感じながらもコースを受けていくと、自分の過去を振り返り、親子関係から友達関係まであらゆる自分の関係性を見る中で、どれだけ自分の感情を押さえ込んできたか、自分の意見も言えずにたくさんの我慢をしてきたかを知ることになったのです。
親が望むような決断をしたり、周りから浮かないような発言ばかり繰り返し、本当に自分が思っていることさえ分からないくらい感情が麻痺していたことに気がつきました。
自分自身に絶望を感じ、本当の自分は何なのかを向き合っていく中で、自分がとても傷ついていたことを知ると、あらゆる問題から逃げて本心を言えない体質になっていたことを受け入れるしかありませんでした。
そこでやっと気がついたのです。
自分が満たされていないと、相手を思いやれる気持ちが生まれず自分を満たすことに意識が向いてしまうことを。
これじゃ妻を幸せにすることもできないし、家族を守るなんてできない人間なんだ。
偉そうなこと言える立場じゃないよねと自分を追い込むばかり。
本当に辛い日を過ごしました。
妻に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、これを知った私は
「これで夫婦関係は良くなる」と思い、日常生活に戻りました。
しかし、待っていた現実はそんな簡単なものではなく、今までの関係性が劇的に変わることはなかったのです。
関係性が一瞬で変わると思っていましたが、日々の積み重ねで築いてきたもと、自分の性格が別人のように変わるわけではありませんでした。
凝り固まった感情と、ねじ曲がった性格は長い年月の中で自分自身を作り上げたものなので、アイデンティそのものです。
その全てが崩れ去ると、何を頼りに生きていけばいいのか分からなくなり、また元の自分になる方が楽だからと過去の自分にしがみつくしかありません。
夫婦関係は、たまに会う関係性ではなく日常そのものですよね。
常に意識し続け、変化をしていくのは相当な努力が必要だということを身をもって感じます。
私自身、妻に何年も認めてもらえないのは、相当いろんなことに囚われ固執しているからだと思います。
私たちは
「一瞬で気づくことはできる」ことは真実で
「そう簡単には変わらない」のも真実だと思います。
そこに自分の信念がある限り。