カウンセラーのリコカツ

〜私の見た真実〜

自分は他の誰かに絶対になれない

当たり前かもしれないけど

自分は他の誰かにはなれない

しかし、誰かに憧れてあんな風になりたいとか思ってしまう

自分も、もしかしたらなれるんじゃないかとも思ってしまう

そのために、憧れの人が好きな物を買い、服装を真似し、好みや価値観まで同じくしようとする

それが成功への近道だと言う人もいる

そんなこと絶対にありえないのに

誰一人同じ人は、一人もいない

だから

自分との違いを知ることができるし、自分がわかる

人の人生を生きることが

一番つまらないし、面白くないのに

でも、自分がよく分からないから取り敢えず真似してみるっていうのは、有りだと思う

やってみてどう感じるか、どう思うか

好きか嫌いか

自分は他の誰かに絶対になれない

という前提で



自分を知ると自分を表現したくなる

自分のことがよくわからないとき
セルフイメージが今の自分とかけ離れているとき

こんな時は

自分のことが好きになれないし、認めたくない

だから

自分を隠そう隠そうとしたり
違う誰かに憧れ、誰かになろうとする

他人の人生を生きてる方が楽な時期もある

守・破・離

とは少し違うかもしれないけど

どんどん自分を知っていくと、他人の人生を生きてるのが苦痛になり、自分の人生を生きたいという欲求が生まれる

それに気付いたらもう止まらない

抑えようとしても抑えられなくなってしまう

独立することも同じ

自分の人生を生きたい
自分を表現したい

そうなったらもう前に進むしかない

自分が言ってることは全ては自分の中にあるもの

何かに対してのコメント、批判、アドバイス、メッセージなど

相手に対して、相手に向けて何かを言うとき

・全て相手の中にあるものを自分が言ってあげている
・相手に全て原因がある
・相手が全て悪い

と思ってしまう

本当にそうだろうか

ある人に感じる思いは人によって違う
ある人に反応するものも人によって違う

てことは、それぞれの人の中にあるものが反応しているってこと

・相手を見て何か思うのは自分
・相手に何か感じてるのも自分
・相手の何かに反応しているのも自分

結局、自分の中にあるものしか出てこない

だから、批判やコメントなどを周りに言ってるってことは、自分の中にこういうものがありますって自己紹介しているようなもの

みんなで集まって愚痴を言い合ったり
誰かの悪口を言い合ったり

本当、自己紹介でしかありません

誰かの悪口ばかり言う人は

批判的な人だよねって言われてしまう

私達がいつも発していることは全てそう


わかったつもりで意識してても、なかなか気付きにくいものだけど

気がつくと同じ言葉にビクビクしている

関係性が深い相手やよく関わる相手などに、
毎回同じ気持ちになっている言葉がある

人によって違うけど

これどうなってるの?
これどう思う?
あれどうだった?

なぜかビクついてる自分

過去にこの質問の後

なんで見てないの?
それ違うんじゃない?
何も考えてないの?

なんて責められた気持ちになったことかが、身体に染み付いているから

この質問されたらまた責められるかもしれないと反応する

だから、

ちゃんと答えなきゃとか、真面目に考えて答えないといけないと思い込み、身体が縮こまってしまう

そんな状態から出る答えはクリエイティブじゃないから、いい関係性を築くことは難しい

いつも何かに怯えてるから

対等じゃないし

同じパターンの関係性から抜け出さない限り、苦痛にしか感じられない

どこかで開き直り

自分の意見を言って

自分はこういう人間なんだ
自分はこう思ってるんだと言ってみる

別に真面目に言わなくても、ジョーク交じりだって構わない

この人はこういう人なんだと思わせることが、抜け出す方法の一つだと思う

パターンはやはり根強い


子供達の事を見ていると

いつ何をするか分からない

何を言うかも分からない


その場その場で

目の前のことに興味があり

目の前のことに疑問をもつ


大人になるにつれて

好きなものしか見ないし

好きな相手としか付き合わないようになる

すると

同じ行動パターンになり

同じ話しかしない

幅が狭くなり、付き合う人も自然と狭くなってしまう

行動パターンが同じってことは、思考パターンも同じってこと

同じ視点でしか物事を見れなくなるから

同じことでいつもトラブルになる

パートナーとの関係では顕著に表れ

マンネリ化して刺激もなくなり

心まで離れてしまう


そこで

これからは、いろんな人とリアルで会うことが大切になってくると思う

ネットではなくリアルに

ネットでは頭でしか感じないけど

リアルに会うと、五感で感じいろんな所が刺激されるから

いろんな感情も味わえるし

自分では探せなかった情報なんかも聞くことができる

人と会うことでしか広がらない

情報も感情も

ネット社会で色んな情報を得ることはできるが、リアルで人と会うことでしか私達は変わらないと思う

行動パターンを変えるには、色んな人に会うことが大切

それぞれ役割があるから自分がある

会社の中でも家庭でもいろんな役割がある

会社では

人事、総務、経理、営業、技術など様々な部署があり

会社としては、利益があってみんな給料をもらってるから、稼いでいる部署が花形のようでに思われる

そして、稼いでいる部署にいる人は、自分たちのために人事、総務、経理などのサポート部署があると思ってしまう

家庭でもそう

夫が働いているから生活していける

確かにそうなのだが


しかし、ある日突然妻がいなくなったらどうなるか

子供達の食事、洗濯、送り迎えなどがあれば全部一人でできるはずかない

歯車がすべて狂ってしまう

関係性の中では上も下もない

誰が偉いとか偉くないとかもない

ちょっとでも自分が偉いっていう発言をしようものなら、それがトラブルの原因になってしまう

自分一人で生きてるのかと

それは、家庭でも会社でも同じこと

一人ひとりの役割があってこそ、うまく回っている

いかに視野を広く持ち

自分の役割は何か

相手の役割は何か

どのようにして成り立っているかを冷静に捉えることができれば、自然と感謝をしたくなる



自分のことはやっぱり見えにくい

周りの人を見て

着てる服が格好かいい格好悪いか
メガネが似合うか似合わないか
話がわかり易いか分かりにくいか
せっかちかおっとりしてるか
など

目で見て感じる事
耳で聞いて感じる事
感覚でわかること

全ての感覚を使い相手のことを感じ取ることができる

それは、五感は周りのことを感じるためにあるから

だから人のことはよく見えるし感じることができる

しかし、自分ことはよく分からない

自分のことは見えないし

自分の話がどう伝わってるかわからない

自分の声がどう聞こえているかもわからない

どういう印象を与えているも分からない

分からないことだらけ

だからいつも迷うし人に聞く

自信もないし


そして、人の意見を鵜呑みにし、周りに合わせてしまう

なんか違うって感じてても、自分がよく分からないから結局合わせてしまう

ではどうすればいいのだろうか

ひとつは

勇気を出して自分の思いや意見を伝える

口に出して言ってみた自分が、その意見を疑ってしまうこともあるが、繰り返していくうちに自分の意見を信頼できるようになってくるから

もう一つは

目を閉じて自分の身体の反応を感じ、自分の中の自分と対話すること


結局、外側からは見えない

自分の内側を見ることしかできないということ

自分のことをどう見えるかは、人によって違うし

自分のことは自分で見えないけど、自分のことを本当に分かっているのは

自分しかいない

嫌な相手ほど気付かせてくれる

自分にとってすごく嫌だと感じる相手ほど学びかあるという

そもそも嫌な相手とは付き合いたくないし、話もしたくないと思う

わさわざ嫌な気持ちになりたくないし

そんな時間って本当にもったいないとさえ思ってしまう

一方で、一緒にいて心地いい人とは、心が平穏でずっとこの状態が続けばいいと感じる

しかし、そういう時って自分の考えや感情に気付きにくいもの

自分がどう思っているか、どう感じているかを感じやすいのは

心をかき乱され、嫌な気持ちにきなっているときの方が

嫌だからどうする

嫌だからどうしたい

って自分が何を考えてるかわかるし、自分の価値観がわかる

自分の考えや感情と向き合うことは、じつは自分を知る入口になっている


嫌な相手に向き合うのは、自分を知るチャンスとも言われるけど

自分と向き合うことは嫌なことだったりするから、チャンスというのはあまりしっくりこない

自分と向き合わないとチャンスを逃してるみたいになるし

自分と向き合わないことが悪いことだとも思わない

人にはそれぞれタイミングがあるから






どこのレベルで話をするかで印象が違う

仕事においてどこのレベルで話をするかって、実は一番重要なことだと思う

よく

・指示がないからよくわかりません
・役割が明確でないから動けません
・連絡がないからどうなってるかわかりません
など

前提条件は様々だが

受け身
愚痴
不満

と言った話し方は、役職がある人は嫌う

自分の後輩や、仕事の依頼先とのやり取りの中でも感じる事があるが

『で、どうすればいいと思ってるの?』

『自分だったらどうする?』

ていう質問を返したくなる

上に行けば行くほど、仕事に対する姿勢を見ている

ていうか、そこしか見ていないとさえ言えるほど重要なことだと捉えている

どんなに仕事をしたって改善点は見えるもの

『でどうするか』
『こうした方がもっと良くなると思う』
『自分がやります』

とならず

受け身
愚痴
不満

は何の解決策にもならず、後ろに引っ張られるだけだから

取引先ならなおさら

じゃあ他の会社をら探すから

となるのは当然のこと

会社の人なら

そういう人なんだねで終わるだけ

他の人の仕事の内容は見えないけど、どういう姿勢で仕事をしているかって結構見ているから

どんな人と仕事をしたいかって考えたときに、どのレベルで話ができるか

自分が思っている以上に、周りは敏感に感じている

一体感を感じるために私がすること

子供がスポーツをやりたいけど、保護者の手伝いが面倒くさいからといって、親がチームには入れないという声をよく聞く

子供がやりたいと言ったとしても

練習当番・試合当番・試合準備への協力・様々な会の開催など、あげればきりがないけれど、そこに自分の時間を費やすことになるから

親の方がチームに入れる意味を考え過ぎてるんじゃないかなと思う

子供達がやりたい事を応援してあげたいという気持ちよりも


私は、率先してチームの役員をやり子供達と関わるようにしている

純粋に子供達を応援したいし、子供達の成長を自分の目で見ていたいから

『自分の目で見ていたいから』

今しかできない事だし

今を生きるってことは、今しかできない事をする事だとも思うから

そんな中で一番の楽しみは子供達の試合

自分の子供の成長を見ることも楽しみだけど

保護者のみんなで応援するのがたまらなく好きだから

お互いの子供を応援し、チームの勝利のために応援する

勝ち負けが全てじゃないけど、勝ったらめちゃくちゃ嬉しいし、保護者同士でハイタッチまでする

みんなで興奮し、みんなで喜ぶ

一人では味わえないこの感覚を味わうために、やっていると言っても過言ではない

この一体感を味わうために

怒りはダメという思い込み

怒らない方法
怒らない技術
など

怒ることや怒りが『悪』みたいに言われているが、本当にそうだろうか

私たちはいろんな価値観や思い込みがあり、どこで怒りのスイッチが入るかは人それぞれ

その価値観や思い込みが悪さをするというが、何にも価値観や思い込みが無い人はいない

どんなに感情を解放しても、どんなに価値観が崩れても、全く価値観が無くなるわけではない

だから、誰でも怒りのスイッチは存在するはず

怒らない技術や方法を学び、怒らなくなったとするなら、怒らない自分を作っているだけ

怒りが悪いというならば、なぜ私たちには怒りという感情があるのだろう

喜怒哀楽という感情に、必要のないものはあるのだろうか

私たちは、全ての感情を体験するために生きているし、どれかを排除しようとするとバランスを崩すことになる

怒らない自分は、ただ自分に蓋をしているだけ

蓋をすれば、ずっとその感情を抱えたままになってしまう

たくさん溜まった後に、蓋を開けると制御不能になってしまう

その時その時に怒ってしまった方が、健康的に生きられる

卒園式は共感の嵐

3月といえば卒園式・卒業式のシーズン

本人にとっても親にとっても、先生にとってもこれまでを振り返る機会が訪れる

過去を振り返るということ

笑ったこと
泣いたこと
起こったこと
恥ずかしかったこと

いろんな感情を経験できたことが、走馬灯のようによみがえってくる

そんな事を感じながら、息子の卒園式に出席

始まる前から、これまでの成長を思い出していた

すると、園児入場の瞬間から誰よりも早く涙し

園児の名前を呼ぶ先生が涙につまり

また涙。

保護者謝辞で保護者代表が涙につまり

また涙。

泣かないで立派な姿をしていたのは、子供達の方だった

いったん涙が流れると、感情も溢れ出しもう止まらなくなる

抑えようとしても止まらない

涙が流れると、共感という感覚が敏感になり

人が流す涙にまた涙する

卒園式が共感の嵐に包まれていた

新卒者がヤバい


『今の若者は』

なんてことは言うつもりはなく、そういう風に言うのも好きじゃない

というのを前提として、今の大学生は仕事に関してどう考えているのか興味があった

ライフスタイルも多様化し、いろんな働き方がある

そんな中で、どういう生き方をしたいのか

自分がやりたい事を実現したいのか、それとも安定なのか

新卒者向けの会社説明会でのこと

質問として

『技術系採用』と『事務系採用』の両方に応募することは出来ますか?

『え?』

『電気理論があまり得意じゃないんですが、電気の仕事は出来ますか?』

『え?』

就職活動は、
どの分野で活躍したいか
自分が何をやりたいか
どういう働き方をしたいか

自己分析・リサーチなどを通して自分と向き合わない限り自分なりの答えは出てこない

とにかく会社に入れればいいと思っていては、仕事をしても受け身のままだろうなという印象を与えるし

自分の専門分野が不得意と言ってる人を、採用する意味がないし

何も考えず、何の戦略もないまま平気でそんな事を聞けるという意識

多くの就活生がそうではないとは思うが、こういうタイプもいるというのは事実だった

就職率が高いとか低いとかっていう数字ばかりクローズアップされるが、数字だけで景気の指標にはならないと思う

こういう現実を目の当たりにすると、教育は大事だとも思う

業種や会社の雰囲気はそれぞれ違うから、当然合う合わないは必ずある

社会も知らないし、実績もないのはみんな同じ

だとしたら、どうやって自分を売り込み、どこまでハッタリを言えるか

『何も考えてませんがいいですか?』

というヘンな正直さがヤバい


ヘンな真面目さ

仕事にしろスポーツにろ、何であれ真面目さは信用につながったりする

あの人に任せておけば間違いない
あの人なら最後までやりきってくれる

周りは意外と見ているから、知らず知らずのうちに評価が上がっていくことになる

しかし、間違った価値観を信じ、それを必死に守っていると同じ過ちを繰り返すことになる

ある新入社員の後輩は、とてもお酒が弱く

ビールをコップ一杯飲むと必ず寝てしまう

飲み会の最中に

しかも100%の確率で

ある飲み会の前に彼に聞いてみた
『今日飲むの?』

なんの迷いもなく
『飲みます!』

案の定、飲み会の1時間後に彼は寝ていた

しかも、飲み会が終わるまで

誰も無理にお酒をすすめているわけでもないのに、勝手に飲んで毎回寝る

そして、起きるとぐったりしていて気持ち悪そうだし

飲めば強くなるタイプでもないし、飲み会を楽しめていない

先輩に気を遣うどころか、心配をかける方になっているし

これは

お酒が弱い自分を認められず、飲み会では飲まなきゃいけないという思い込みが強すぎている

自分を知らないし、間違った価値観を信じているってこと

守らなくてもいい価値観を、真面目に守っている

ヘンに真面目すぎるから

ヘンに真面目な人ほど変わらないし、融通がきかないことが多い

お酒に対するそれぞれの価値観

酒を飲んでストレスを解消する
思いつめないために酒を飲んで忘れた方がいい
飲み会で飲んで盛り上がらないと意味がない
自分だけ飲まないと場がしらけてしまう
注がれた酒は飲むものだ

お酒に対する価値観は人それぞれ

私は半年前からお酒を飲んでない

理由は

飲むと止まらなくなる
翌朝体調が悪いことが増えた
二日酔いで1日無駄にするのが嫌になった
電車で乗り過ごすようになった
記憶がなくなることが多くなった
財布をなくした
など

時間を無駄に過ごしたくないという思いと、自分の命に危険を感じたから

自分でセーブできて、二日酔いにもならない人はお酒を飲んで楽しめばいいと思う


そんな私が久しぶりに飲み会に参加した

すると

『どうしたの?どこか悪いの?』
と昔のイメージをもとに心配してくれる人

『飲まなきゃダメだよ』
と盛んにすすめてくる人

挙句の果てに
『飲まないと、どこかで壁にぶつかるよ』
と忠告してくる人まで

『壁?』

『後輩がたくさんできたときに、飲まないとうまくいかないでしょ』と

どちらかというと、男性の方がお酒を飲むことにこだわりを持ってる人が多いように感じる

女性は理由は聞くものの、深入りせず、それよりも会話を大切にする

結果的に、飲まなくても楽しい時間を過ごすことができた

カラオケまで行ったし

そして、朝起きた瞬間

『飲まなくてよかった』

と、自分の決断に喜びを感じた

それは

ものすごい体調が良いから

今日も充実した日を過ごすために