カウンセラーのリコカツ

〜私の見た真実〜

なぜ好んでマスクをするのか

近年、マスクをする人が増えたように思う

様々なマスクが開発されているのも、需要が増えていることをあらわしている

マスクをするのは、風邪などを引いてる人が他の人にうつさないことや、逆に予防のためのケースが多い

今は花粉症の季節なので、予防策として使用しているのはよく分かる

しかし、よく見るとマスクをしている人は年中している

また、なんか体調が悪そうな人もしている事が多い

なぜだろうか

それは、

『自分を隠したい』という思いが強いから

肌が一番露出しているのは顔で、顔=自分みたいなところがある

だから女性は化粧をして綺麗になり

人を最初に見るときは『顔』である場合が多い

手軽に自分を隠すためにはマスクが手っ取り早い

今の自分を見て欲しくない
存在を消したい
そっとしといて欲しい

私もマスクにはまっていた時期ある

しかし、今はそんな自分に気づきマスクはしていない

花粉症メガネはするけれど

花粉症にかかわらず



人と関わる事でしかエネルギーが湧かない


自分を知り、やりたい事を見つめるために1人の時間をとるのは大切

しかし、目を閉じて自分の内側と繋がり、源泉から湧き上がるエネルギーを感じた事があるでしょうか

そんな経験をした人もいるかもしれない

だけど、何かに突き動かされて行動しているときってどんなときだろう

この人となら一緒にできる
この人のために何かしてあげたい
この人を守りたい
この人に認められたい

その先には必ず相手がいる

行動した後には自分に返ってくるけど、行動するきっかけは自分じゃない

あらゆる関わりの中からしか行動するエネルギーとはならない

自分だけで完結することは何も広がりを感じることはない

自分の輪を広げるためには、人と会い、人と関わることがとても大切

自分が生きてるって瞬間を味わうためにも

誰でも自分を知りたい欲求がある

自己探求というとなんか特別な感じはするけど

自分の血液型、星座、干支などでどんなタイプかって話題になることがある

興味がある人は、数秘術、エニアグラムなどを学んだり

動物占いなんて流行ったこともあったくらい

仕事を探すときに、自己分析してどんな仕事が合っているかを考えることもある。

仕事をしてからも、常に自分に合っている仕事を探すことだってある。

これって全て自分を知りたいという欲求が表れている。

私達が生まれてきた目的は、

『本当の自分を知るため』

とも言われている。

それが真理かどうかは分からない。

ただ、自分を知っていけばだんだん生きやすくなってくるかもしれない。


視野の広さとテクニック

スポーツから学ぶ事がたくさんある

子供達のサッカーを見てて、同じフィールドにいて同じ指導を受けてもなぜプレーに違いが出てくるのか。

ドリブルで相手をどうやって抜くのか
どこにパスをするのか
どのタイミングでどこにシュートを打つのか

どうしても足元のボールだけに気をとられていると、周りが見えなくなってしまう。

相手が近づいて来るのが見えずボールをとられてしまったり、簡単にパスをカットされるし、シュートを打っても簡単に止められる。

コーチがよく言う言葉

『顔を上げろ』

顔を上げることによって、相手の動きがよく見え、何より視野が広くなる。

でも、視野が広くなっただけでは試合には勝てない。

足元のボールさばき、キックの正確性、仲間とのタイミング、ポジショニングなどあらゆるテクニックが必要。

そもそもルールを知ってないと試合にならない。

ビジネスやあらゆる人間関係についても同じ事が言える。

ルールを知り、視野を広く持ち、テクニックを磨く。

1人で行くのか、仲間と行くのか。

一瞬の状態判断で決まるのがまた面白い。


頭脳、身体の強さ、テクニック、創造性。

全てが必要になってくる。

パラドックスをどこまで理解できるか

自分には愛がないと思う一方で、自分そのものが愛だったりする。

完全さを目指してる一方で、今の不完全さがすでに完全だったりする。

リアルな部分では

会社員なんか辞めて起業した方がやりたい事がやれると言われる一方で、実力があって戦略がない人は成功しない。
そんなに世の中甘くないとまで言われる。
(起業ビジネスでもあるわけだが)

借金すれば上手くいっていう一方で、返せなければ借金は膨らむばかり。

じゃあどっちなんだという感じだけど、どっちにも正解はない。

両極を知った上で、自分は何を選択していくかが大事ってこと。

片方だけを信じて失敗すると、人のせいにしてしまう。

だってそう言ってたじゃん…と

片側だけには答えはない。

このパラドックスを理解出来ていれば、自分の本当の道が見えてくる。

夢を語るより今、何をやりたいか

夢を持て!
目標を持て!

と、盛んに夢や目標を持てと叫ばれ、有名な人を自分の理想に掲げたりする。

綺麗な理想があり、夢の階段を自分でも登れるように思ってしまい、イメージすれば自分でもなれるとさえ思ってしまう。

有名な人と自分の人生を重ね合わせ、理想の人が自分の人生になってしまうけど、何かになろうとか、誰かになろうとする瞬間から苦しむ事になる。

誰かと同じ人生など無いし、もともとの資質も違うから、誰一人同じ人生などないのに。

だとしたら、自分を理解したうえで
何がしたいか
どうやりたいか
誰とやりたいか
何が欲しいか

頭の中で理想を追い求めると、思いは膨らむだけで目の前の現実は変わらない。
地に足が着いていないと言われてしまう。

自分で感じ、自分で考え、自分で行動する。
誰かのせいにする事なく。

そうは言っても…

私達は関係性の中で生きているから、自分の思い通りにならないことだって沢山あるし、従わなくてはいけない事もある。

その状況の中でどう選択していくか。

どう創造していくか。

どの世界で戦うか。
どうやったら自分が活かせるか。

そして戦略を考えていく。

まずはスタート地点に立つ事。

関係性こそ同じ過ちを繰り返す


仕事でも何においても、行動しているとミスやトラブルがある。

絶対ミスしない人はいないだろう。

ミスやトラブルがあると、なんでいつもこうなっちゃうんだろう…という事がある。

失敗については
・失敗は成功のもと
・悩んでもしょうがない
・反省はしなくていい
・なぜ失敗したのか分析する
・失敗を引きずらない

いろんな意見や考え方がある。

振り返ってみると、いつも同じ事で悩んでいたり、同じ関係性を築いているような気がする。

そして、同じミスもしている。

誤字や脱字といったことは、ただ知らなかったり、キーボードの打ち間違いだけかもしれない。

しかし、関係性においては、同じ事で怒ったり、同じような事でトラブルになったり怒られたり。

なんで自分だけこうなってしまうのか。

同じ事をしてても、他の人は違った結果になっていたり。

ていうことは、自分だけに起こっている結果。
自分だけのユニークな結果。

良いことがあった時だけ、自分はついてるとか、神様に守られてるとか都合良く解釈するけど、それって周りのせいにしてるだけ。

誰かの名言や神様とかいえば妙に納得して、現実を見れなくなってしまう。

ただ自分を肯定して気持ち良くなってるだけ。

全部自分が創り出している現実なのに。

自分の思い込みや変な価値観があったとしても、それを認めない限り何も変わらない現実を繰り返す。

結局、同じ過ちを繰り返すことになるだけだ。




自分のプライドには気付きにくい


プライドほど無駄なものはない。

しかし、全力でプライドを守ろうと必死になっている自分。

人間関係で傷付くときって自分のプライドが傷付くとき。

・自分の発言
・自分の行動
・自分の服装
・自分の髪型
など

自分がこれでいいと思ってた事が否定されると、傷付いてしまう。

そして怒りが出てきて、相手を攻撃したり、無視したり。

自分で自分の事がダメな奴だと思っていても、人から言われるとかなり嫌な気分に。

そんな事ないし。

人のプライドにはすぐに気付き、いろんな意見や批判が出てくるけど、自分にはそんなプライドはないと思っている。

ていうか思いたくない。

築き上げたプライドが、自分の人生を築き上げてきたという錯覚。

過去の実績や栄光なんかも自然とプライドに繋がっていく。

表面上は否定してても、実は凄い人だと思われたいし。

日々、知らず知らずのうちに出来上がっていくプライド。

些細な事で傷付くとき。

なんの役に立たないプライドがそこにある。



「ありのまま」という罠

「ありのままでいい」一時期この言葉が流行っていたが、私はずっとこの言葉に苦しんできた。

気持ちよくなっていたという方が正しいかもしれない。

そして、変わらない現実に苦しんでいた。

「ありのままでいい」「そのままでいい」

いろんなセミナーで言われるたびに、なんか違和感を持ちながらも、その言葉を信じていた。

違和感を持っていたのは、今のままで人生が変わるとは思えなかったから。

いろんなコンプレックがあったり、辛い過去があっても、あなたはそのままで素晴らしいと。

自分を受け入れて、肯定できても変わらない現実というギャップがどんどん大きくなっていく。

今のままでいいと。

人生がうまくいってないし、人間関係がうまくいってないのに、今のままでいいわけがない。

気持ち良くなってる場合じゃない。

そして、ある本との出会いでその謎が解けた。

私自身、何者かになろうといていた。

人の成功体験に自分を重ね、比較し自分自身を愛せない日々。

成功者はどう思っているか、どういう行動しているか、どう生きているか。

そればかりを追い求めていた。

そこに自分がいなかった。

自分はどう思うのか。
自分はどう感じているのか。
自分はどうしたいのか。

自分が全く分からなかった。

自分自身の事を自分が一番分かっていない。

自分の事を何も知らなければ、何も出来るはずがないのに。

「ありのまま」の自分っていつの自分なのか。

過去の自分なのか。
未来の自分なのか。

どっちの自分も愛する事なんてできない。
そんな自分は今ここにいないから。

それは、今の自分だってことだった。

何かを感じている自分。
何かを考えている自分。

何をしたいのか。
どうしたいのか。

いろんな感情を押しころしてきたから、何も感じなくなっていた自分。

他の誰でもない。

自分自身を感じて生きること。

それが「ありのまま」に生きるということ。

どんな制限の中に自由を感じるか

あらゆる制限の中に生きていると、もっと自由に生きたい、もっと自由になりたいという。

仕事なんかは、まさにそう。

会社員、公務員は規則だらけ。勤務時間も決まっていてガタガチに拘束されている感じを
受けるかもしれない。

だから、ノマドワーカーで働く場所や時間に捉われず働きたい。とか、起業して自分が好きなようにやりたい。

といえ発想になるかもしれない。

じゃあノマドワーカーや起業家には制限はないのだろうか。

お客様にサービスを提供したり、お客様との約束があるときは、必ず相手がいる。そこに、時間的制約があるかもしれない。

なんらかのルールがあったり、自分でルールを決めたりしていたら、何も制約がない環境はない。自分で制限を作っているだけかもしれないが…

どっちが良い悪いではなく、様々な制限の中で生きているということ。

勤務時間が決まっている方が働きやすい人もいるかもしれない。短時間に集中して最大の成果を上げたい人もいるかもしれない。

どういう生き方をするのも自由。

いろんな制限があるとしたら、どんな制限の中に自由を感じられるか。

誰かの成功を追い求めるのではなく、自分はどういう働き方をしたいのか、どう生きていきたいのか。

誰かの中に答えはない。


自分と向き合う=自分との対話

目を開ければ意識しなくても様々な情報が飛び込んでくる。

テレビ、インターネット、新聞、街の広告、電車の広告など

人の思考に反応するように仕組まれているから、何の疑問も持たないと情報の中に埋もれ、様々なビジネスのカモにされてしまう。

ずっと受け身な状態だと、自分の考え・自分の感覚・自分の直感が何も機能せず、周りの価値観で生きることになる。

要するに

外側の世界が自分の世界だと勘違いし、自分の世界がなくなっている状態。

そこに自分がいないということ。

自分の考え・自分の感覚・自分の直感を感じないように、見ないように生きてる。

自分がどうしたいっていうのが無い。

自分と向き合ってないということ。

自分と向き合うために、どうすればいいか。

それは、自分と対話すること。

何を考え、何を感じているか。

どういう価値観を持っているか。

常に自分に問いかける癖をつけることで、何をやりたいか。やりたくないかが見えてくる。

どう生きたいかが見えてくる。

自分と対話する事で、もう一人の自分が出てくる。

そのもう一人の自分と対話する事が、自分と向き合うこと。

大人になるほと話し掛けるのに勇気がいる

子供達を見てると、何も考えずどんどん話し掛けていく

恥ずかしがらずにどんどん話し掛け、知らない子でも自然に遊んでいる

しかし、年齢を重ねていくと相手を意識し話し掛けづらくなっていく

なぜだろうか。

相手を意識しているのではなく、自分を意識していくようになるから。

相手にどう思われるか
受け入れてくれるだろうか

自分を意識すればするほど頭の中で考えすぎ、自分自身と繋がれなくなる。

格好良く思われたい
嫌われたくない

するとどんどん相手との距離は遠くなるばかり。

頭では相手とは繋がれないから。

繋がるのはこころ。

こころで繋がるためには

深呼吸してただ自分と繋がる

そして自分を信じて前に進む

それが話し掛ける一歩になる

まずは自分自身と繋がること。

メンタルヘルスケア研修という洗脳

仕事の研修でメンタルヘルスケアの研修を受講することになった。

こういう症状が出てきたらうつ病とか、うつ病には薬が効くとか、そんな事を真面目に話してる講師にもがっかりだけど、それを真剣に効く受講者もいる。

誰にでもあるようなネガティブな感情をならべ、落ちこんだ時の症状を羅列し、これがうつ病だと。

うつ病という定義を作りあげてるだけにしか思えなかった。

そんなことを薬で抑えようとしていては、何の問題解決にもならない。
教科書に書いてあることを並べただけ。

そんな講義が成り立つことに恐ろしさを感じた。

こうやって何も疑問を持たずに信じる人は洗脳されるんだと。

単なるビジネスでしかないし、精神的な事は薬なんかで治るはずがないのに。

盲目的に生きる人ほど、カモにされるだけ。

親の言いなり、会社の言いなりな人ほど洗脳されていく。


自分で感じ、考えながら聞くことが何よりも大切。

情報が全て正しいと思うかどうか。

これが人生の分かれ目だ。

繋がれないのは「怖れ」があるから

会話の中に入っていけない
言いたいことがあるのに言えない
聞きたいことがあるのに聞けない

出来ない自分をさらに責め、どんどん孤独感を味わってしまう。

そして、もうどうだっていいや。

と投げやりにさえなってしまう。

負のパターンから抜け出せず、負のパターンを繰り返してしまう自分が定着し、それが本来の自分なんだと錯覚する。

わかっちゃいるけど、止められない。

本人にとっては、全然笑えない。

自分の意見をどんどん言い、話が面白くて輪の中心にいる人を見ると、自分と比較しまた落ち込んでしまう。

自分にはスキルがないと思い込み、表面的な
話し方、雑談力、プレゼンなどの本を読んだりセミナーに行けばなんとかなると思ってしまう。

表面的なことを学んだとしても、根本にある「怖れ」を認めない限り何も変わらない。

一歩も前に進んでないから。

たった一歩だけど、「怖れ」というブレーキを外さない限り前には進まない。

しかし、「怖れ」を見たくないですから。

「怖れ」を感じてる自分を認めたくないし。

弱い人間だと思いたくないし。

そんな自分に気付き認める勇気さえあれば、「怖れ」は溶けていく。

セミナーに対する周りのイメージ

私がプライベートで悩みの解消や心の成長を目的として、本を読んだりセミナーや研修を受けてるって言うと2パターンの反応がある。

 
1パターン目は
へ〜セミナーとかに行くほど悩んでるんだね。頑張ってね〜。
 
2パターン目は
凄いね。偉いね。
どんなセミナー?どういう人が来るの?
うちの旦那にも受けて欲しい。
など
 
人によって今の現状、人生に対する成長意欲、セミナーに対する価値観などが全く違うということ。
 
私はこれまで色々悩みもがいて、それをセミナーなどで同じ悩みを持ってる人と共有できたから、受け入れる事ができた。
だから、人に自分の内側を話すことができている。
しかし、悩んでる事が格好悪いとか、こんな事を悩んでいたらどう思われるのかを気にしてたら、そんなことは言えない。
 
夫婦関係や親子関係ならなおさらだ。
 
夫婦関係や親子関係がうまくいってないと思われたくないですから。
 
関係性が悪くても、幸せそうに振舞いたい。
 
いい関係性を築けない人だと思われたくない。
 
しかし、ベースとなる関係性が悪いと仕事なんか集中できない。
 
なんか違和感を感じてても、周りの反応を気にして、ただ毎日が過ぎ去るのを待ってる人が多いんだなと思う。
 
自分もそうだったし。
 
そもそもセミナーを知らないし、行く勇気もない。
 
今のまま変わらなくても、こんな豊かな日本にいれば生きられますから。
 
人生こんなもんだからって終わっていく。
 
このままじゃいけない。
 
そう思える瞬間があるかないか。
 
この違いしかない。
 
私は、子供達とどう接するか、何を伝えればいいか。そして、どういう生き方を見せてあげられるか。
 
そんな事を思った時に、今のままじゃやばい。
 
って思ったから。